写真の説明:西村宥斗さんの入浴時の様子(ヘルパーさんと訪問看護の2名体制)
目次
GCI芍薬訪問看護の小児在宅ケア
GCI芍薬訪問看護は2011年に初めて小児患者さんをお受入れしました。その頃小児訪問看護は珍しく、GCI芍薬訪問看護でも小児専門病院での勤務経験のある看護師のみが小児訪問看護に従事していました。2014年にGCI芍薬訪問看護は小児在宅ホスピス緩和ケアを本格的に実施する方針を導入し、全看護師が小児訪問看護に従事できるよう組織体制を整えました。それから10年が経過し現在では全ご利用者の約25%(40人)が小児患者さん(注)です。2014年から10年以上の長きに渡ってGCI芍薬訪問看護をご利用されている西村宥斗さんのお母様に、宥斗さんのこれまでとお母様ご自身の活動、そして訪問看護など在宅サービスの利用の実際についてインタビューしました。
(注)一般的には15歳未満もしくは18歳未満を「小児患者」と定義しますが、ここでは30歳未満かつ18歳までの期間に小児として訪問看護サービスを受け、それ以降継続して訪問看護サービスを受けている患者さんも含めて「小児患者」としています。
宥斗さんの成長と在宅ケアを利用する生活の始まり
インタビューアー
GCI芍薬訪問看護で宥斗さんの訪問看護を担当させて頂き始めたのが2014年4月でした。もう10年以上GCI芍薬訪問看護をご利用されていますが、いかがでしょうか。
西村朋美様(西村宥斗さんのお母さま)
今ではこうして訪問看護さんやヘルパーさん、そして在宅医が定期的に自宅に来て下さるので安心です。宥斗は出生時から障がいがあったのですが、その時はこのような在宅サービスを使うことはできませんでした。
インタビューアー
え?2014年だったら、在宅ケアの制度はもうとっくに開始していましたが?
西村朋美様
制度があったことは知っていました。退院時に在宅ケア提供事業者のリストも手渡されました。でも、退院後1年間は宥ちゃん(宥斗さん)の体調が不安定で、てんかんや誤嚥による発熱で入退院を繰り返していて、在宅ケアの事業者を自分で探す余裕なんてなかったんです。
インタビューアー
事業所をママが探さなければならないのはおかしい、なんとかしなければ、とGCI芍薬訪問看護で開始したのが計画相談事業です。西村さんは、GCI芍薬訪問看護の計画相談もご利用頂いていますよね。
西村朋美様
宥ちゃんが退院した当初に計画相談をご紹介頂けていれば助かったのに、と今になって分かります。実際には、宥ちゃんが1歳になる間際で気管切開して、3か月入院して帰ってきたら体調が落ち着いたので、初めて訪問看護さんを自力で探すことができるようになりました。
インタビューアー
体調が良くなったので、それで通園もできるようになったのですね。
西村朋美様
最初は1カ月に1回だけでしたが、北部療育センターでは外出時に身体を温める方法を教えてもらえてありがたかったです。宥ちゃんは体温調節が苦手なので、こうした知識で外出が楽にできるようになりました。2歳児になると週1回、3歳児からは週3回と、通園する頻度も多くなりました。宥ちゃんと同じ肢体不自由児のクラスで、6~7人のグループの親子アクティビティがあり、ママ友をたくさん作ることができました。
インタビューアー
同じ経験をしているママたちと情報交換できるようになって西村さんも心強く思われたのではないでしょうか。
西村朋美様
そうなんです。宥ちゃんは筋緊張でのけぞることがよくあったのですが、どんなクッションを、どんな風に使うと良いかなど、色々教えてもらえました。突然吐いたり、経鼻チューブが抜けるというアクシデントについて話すと、ママたちから「そうだよね。」「そうそう、うちもそういうことあるある。」と言ってもらえるとホッとしたりました。
インタビューアー
3歳児からは青葉療育センターができて、そちらに通うことになったのでしたよね。
西村朋美様
3歳児からは週3日、10時から3時まで、うち2日は親が離れてクラスメイトと先生とだけで過ごせるようになりました。4歳児と5歳児の時には週4日、うち3日は親が離れることができるようになり、徐々に手がかからなくはなりましたが、他に預けるところもなく、短期入所も考えることができませんでした。自宅から近くなったということもあり、ありがたかったのですが、それでも私が車で送迎しなければならないということには変わりがありませんでした。
インタビューアー
現在横浜市では医療的ケア児の通学支援を開始していますが、その頃はそんなサービスは一切なかったですものね。ところで、訪問看護を利用し始めたのは宥斗さんが2歳になった時からでしたよね。
西村朋美様
その頃訪問看護さんにはシャワーチェアーを使って湯舟に入れてもらっていました。まだ身体が小さいので現在のようなリフトは不要でした。2歳半からはヘルパーさんにも同時に入ってもらいました。訪問看護さんからヘルパーさんにも入ってもらった方が良いとアドバイスを受けたので自分で20件以上も電話して探し回りました。
インタビューアー
20件以上も?!
西村朋美様
ようやく見つかったヘルパー事業所も、当初は訪問して下さったのですが地理的に遠いという理由で1年後にはママ友から教えてもらった別の事業所に変更になりました。
インタビューアー
訪問看護も途中変更がありましたよね。うちが入る以前にも9年ほど別の訪問看護ステーションが訪問していましたよね。
西村朋美様
訪問看護さんも、当初訪問して下さっていたところは地理的に遠いということで変更になったり事業所閉鎖があったりして、芍薬瀬谷さんで4か所目になります。

写真の説明:西村宥斗さんの入浴時の様子(ヘルパーさんと訪問看護の2名体制)
インタビューアー
6歳で小学校入学でしたね。それまで大変なこともあったので、感無量だったのではないでしょうか。
西村朋美様
新治特別支援学校(2012年に若葉台特別支援学校に移転)に入学し、18歳になるまで先生方から手厚い教育を受けることができました。先生方は吸引もできるので助かりましたが、家族による送迎が必須という点には変わりがありませんでした。
インタビューアー
週5日、送迎されていたんですね。通院もありますよね。
西村朋美様(西村宥斗さんのお母さま)
通院時には、いつの頃からか芍薬訪問看護さんがボランティアで通院介助支援を開始して下さいましたよね。
インタビューアー
お役に立てているでしょうか。
西村朋美様
車を駐車場に入れに行ったり、トイレで中座するなどちょっとした時間でも宥ちゃんから離れるわけにはいかないので助かっています。
学齢期から成人期へ ― 18歳を境にした生活の変化
インタビューアー
18歳で特別支援学校を卒業した後、宥斗さんの生活は一変しましたね。
西村朋美様
特別支援学校での充実した生活を、卒業後も宥ちゃんに続けて欲しいと願い活動を続けてきました。障がい児を持つご両親のほとんどが、私と同じ願いを持つと思います。
インタビューアー
18歳までとそれ以降ではどのように違うのでしょうか?
西村朋美様
18歳までとそれ以降で大きく違うのは、やはり特別支援学校のような充実した教育を受けられなくなるということです。卒業後は社会人として、生活介護(通所)に通うことになります。我が家は、通所はすぐに通うことはできなかったのですが、恵まれていて18歳からの1年間は、日中一時支援事業の「みどりワイワイ広場」に週4日、青葉区医師会日中支援に週1日通えるようになりました。その後通所に空きが出て19歳からは「みどりの家」の生活介護(通所)に週5日通っています。10時~15時までと短時間ではありますが、送迎してもらえるのでありがたいです。
インタビューアー
学校や通所といったフォーマルな活動以外の地域での暮らしについてはどうでしょうか?
西村朋美様
幼児・児童が対象の横浜市社会福祉協議会で管理している制度がありまして、各区に「地域訓練会」があります。この会は会員人数によって助成金額が決まる運営費で運営されていて、運営内容についても子ども達が様々な経験や体験ができる内容を所属しているママたちとみんなで、意見を出し合い決めていけます。宥ちゃんもこの「地域訓練会」に2歳から所属しました。イベントでは、プール体験やディズニーランド遠足、クリスマス会、月1回音楽療法、乗馬などたくさんの経験ができました。ですが「地域訓練会」への所属が18歳までになるので、訓練会卒業後、親の会を立ち上げ、親が勉強会を開催したり、子ども達が地域で暮らしていくために様々な支援の輪を広げる活動をしたり、時には親子参加で地域イベントに参加したりしています。
地域・支援・行政とつながる暮らし
インタビューアー
18歳を境に大きく地域の支援の輪の活用方法が変わったようですが、医療や看護については変わらず、“みどりの家”から帰宅した後に訪問診療や訪問歯科や訪問看護が訪問しているのですね?
西村朋美様
16時半から週3回、訪問看護とヘルパーさんに来て頂いて、入浴介助をお願いしています。身体が大きくなった中学生の時には浴室にリフトを取り付け、介助して下さる皆さまにとっても宥ちゃんにとっても安全な形で入浴できるようにしました。寝室とリビングを合わせ、自宅に4つのリフトを取り付けています。
インタビューアー
日々、こうして宥斗さんの介護をしながらも、西村さんはぱざぱネットの代表としてもご活躍されていますね。ぱざぱネットについて教えて頂けますか?
西村朋美様
“ぱざぱネット”の“ぱざぱ”とは、フランス語で「一歩一歩」という意味なんです。横浜市には各地に重症心身障がい児の親子さんの会があるのですが、それらの会がつながって協力しあうことを目的として2001年にスタートしました。現在15団体がつながっていて、仲間同士協力する体制になっています。
ぱざぱネットホームページ:https://pazapanet.jimdofree.com/
インタビューアー
そんな大きなネットワークになっているんですね。
西村朋美様
行政ともつながっています。毎年一回は正式な形で横浜市の健康福祉局や医療局に要望を伝えたり意見交換を行う場が設けられます。また、横浜市自立支援協議会の重心連絡会でぱざぱネットが研修の講師をするなど、横浜市側に重症心身障がい児者や医療的ケア児の現状や課題を伝える活動を積極的に行っています。
インタビューアー
そうしたぱざぱネットの活動が功を奏して、横浜市も医療的ケア児の通学支援を開始したのではないでしょうか。GCI芍薬訪問看護も長年医療的ケア児の通学時の困難性に着目していましたので、横浜市のこのプロジェクトに賛同し、通学支援事業者として登録しました。
西村朋美様
行政側から有用なご情報を頂戴できたり、行政が目指す方向性が理解できたりもしました。例えば、横浜市は現在私たちのような重症心身障がい児や医療的ケア児に「メディカルショートステイをできるだけ使って欲しい」と言っています。私たちがショートステイ先が少ないという課題を長年行政側に訴えてきた、それを受けて横浜市は現在、市民病院などで重症心身障がい児や医療的ケア児を積極的に受け入れるべきという基本方針なのだと思います。重症心身障がい児はベッド上やバギー上での身体のポジショニングが難しく、病棟の看護師さんや介護士さん達にまずは重症心身障がい児に慣れてもらうところから始めなければならないわけです。ですので、私たちも積極的にメディカルショートを使うようにしています。
未来への備えとご家族へのメッセージ
インタビューアー
メディカルショート含め、入所先の確保は大きな課題ですね。
西村朋美様
うちもそうですが、私の友人のママたちもこれから自分たちが高齢化していくわけで、心配はつきません。横浜市では今後は大規模施設は作らないという方針を掲げています。少人数のグループホームのような形の施設が今後は増えていくことになるのですが、それではこの子たちのように医療的ケアがある子どもを預けるのはご家族も不安だと思います。ですから、私は大規模施設とグループホームのような小規模施設の、ちょうど中間にあるような施設ができると良いのではないか、と思っています。
インタビューアー
命にもかかわることですから、医療的ケアに適切に対応可能であるということは重要ですよね。命にかかわると言えば、災害時には宥斗さんは特別な対応が必要になりますよね。西村さんご家族は先駆的な防災対策をしているとうちの訪問看護師やソーシャルワーカーから聞いてきたのですが、具体的にはどのような対策をされているのでしょうか。
西村朋美様
まだまだ課題は山積みですが、電源確保や医療材料など必要物品の備蓄など基本的なことから始め、避難所で生活することを想定しシュミレーションしたり、自治会の防災訓練に参加するなど、少しづつですが準備を進めています。電源確保は特に重要なので、東京電力のパワーグリッドに登録しています。
インタビューアー
登録すると、どういうメリットがあるのですか?
西村朋美様
人工呼吸器の方が優先になるとのことですが、災害時には蓄電池の貸出があるそうです。実際、青葉区が停電した際には東京電力の方から連絡が入りました。
インタビューアー
それはひとつ、安心材料ですね。行政にも登録しているのでしょうか?
西村朋美様
青葉区の「あおば災害ネット」の「支えあいカード」に登録しています。作成した「支えあいカード」は地域民生委員が預かり、区役所に提出されます。その写しを自治体、町内会、民生委員及び防災拠点とでそれぞれ厳重に管理しています。防災訓練に利用するなど、災害発生時に備え地域で活用されています。
インタビューアー
防災訓練についても教えて頂けますか?
西村朋美様
毎年1回の自治会の防災訓練には必ず参加するようにしています。避難経路を確認すると、バギーで通れなかった場合を想定できたり、避難所での具体的生活がイメージできて準備が一歩前に進んでいくように思います。こうした家庭内での準備に加え、地域の皆さまに宥ちゃんのような子が近くに居るのだと知って頂くことが重要だと思っています。災害時には、私たちは地域の皆さまのご協力がなければ生きていくことはできません。災害時には皆さまも大変で、どこまでご協力が得られるか分かりませんが、それでもこうして普段から、地域の方々と宥ちゃんの現状を共有しておくことは重要だと思っています。
インタビューアー
最後に、医療的ケア児や重症心身障がい児をお持ちのご家族の皆さまに向けてメッセージをお願いします。
西村朋美様
訪問看護や訪問介護は早めに使い始めた方が良いと思います。今は計画相談という制度もできて、自分たちで探さなくても計画相談員さんが訪問看護や訪問介護を探してくれます。今は医療的ケアが全くなくても、重症心身障がい児は30歳を超えると体調が変化し、胃ろうや気管切開など、医療的ケアが必要になるケースが多く見られます。そうなれば、訪問看護に加えて訪問診療も必須になりますが、それまで外部のこうしたご支援を利用した経験がないと、あらたな一歩を踏み出しにくい。特に訪問看護さんは、小さな体調変化も気づいて下さって、病院の先生に連絡して下さったりするので、とにかく子どもが小さい時から在宅サービスを使って、常に多くの方々からご支援を受けられるようにしておくと良いと思います。
インタビューアー
西村さんの長年の自宅介護のご経験、そして同様に介護されているママたちのグループの代表としての活動から得られた知見から、とても有意義なお話をお伺いすることができました。ありがとうございました。
GCI芍薬訪問看護よりコメント
西村宥斗さんは上記インタビュー後、2025年2月に永眠されました。ご両親からは、上記インタビューをこうして公開することをご快諾頂き、原稿の校閲もして下さいました。西村宥斗さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
サマリ
GCI芍薬訪問看護は、小児在宅ケアに本格的に取り組み始めた2014年以降、医療的ケアが必要な子どもたちとその家族の暮らしを地域で支え続けています。西村宥斗さんのお母さまである朋美様への当インタビューでは、10年以上にわたりGCI芍薬訪問看護をご利用されている西村宥斗さんとご両親の歩みを通して、小児期から成人期へとつながる在宅ケアのリアルが伝わります。
乳幼児期の入退院を繰り返す日々から、訪問看護・訪問介護・療育・特別支援教育、そして18歳以降の通所生活へ。制度の変化や多くの困難を乗り越えながらも、「住み慣れた地域で暮らし続ける」ことを選び続けてきました。
また、朋美様は重症心身障がい児者・医療的ケア児の親の会ネットワーク「ぱざぱネット」の代表として、行政や地域と連携し、支援の輪を広げる活動にも尽力されています。
在宅サービスを早期から利用することの大切さ、支援が切れ目なくつながることの重要性、そして地域とともに生きるという選択。
このインタビューは、小児在宅ケアのこれからを考えるすべての方へのメッセージです。